なぜ、神様のことが好きになったのか?14
伝道の実が実る
毎日、毎日、歩き続けていました。
私の自慢は、1回もさぼったことがないということです。
お祈りするために座り込んだりすることはありますが、怠けるために座り込んだことは一度もありませんでした。
こんなに必死にやってきたのに、4年間、誰も伝道できませんでした。
(一人、伝道されましたが、その人は、教会を離れてしまいました。)
私には伝道に対してトラウマのような、悲しい気持ちがありました。
「どうせだめだ」「いくらやってもダメだ」という心が何度もよぎり、その心と戦いながら歩まなければなりませんでした。
普通、4年間もだめだったら、あきらめてしまう人も多いと思います。
でも、それまで、たくさんの神様との出会いがあり、神様の愛を確信していたので、あきらめませんでした。それは、神様のおかげです。
5年目ぐらいから、み言葉を聞いて、統一教会に入会する人がどんどん増えました。
合計すると
入会した人が、約50人。
統一教会で祝福結婚した人が15人。
献身した人(仕事をやめて、統一教会の仕事に従事した人)が3人。
こんな、みすぼらしい私を信じてくれた人々、涙を流して神様や文先生に従っていくと決意してくれた人々。
この人たちと出会ったことを忘れることができません。
一人一人と出会った時の私の心情、そして、出会った時の一人一人の顔を忘れることができません。
神様が出会わせてくれたのです。
この人たちは、神様が準備してくださっていた人だと感じます。
そして、どんなにダメでも、あきらめず、真心をこめて善なる行いを続ければ、いつか必ず実りがあるという事を教えられました。
でも、「文先生は1か月に1人伝道しなさい。」と言われていたので、本当は、もっとたくさんの人が準備されていたのだと思います。
もっと頑張っていれば、もっとたくさんの人を救うことができたのではないかと思うと申し訳ない気持ちです。
→続き15
試練の予感
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