統一教会(世界基督教統一神霊教会)の神様大好きおばさん

信仰とはなんと甘美なものであったのか。

疲れてクタクタでも、苦しくて、悲しいことがあっても、心が折れそうになっても、自分を失いそうになっても、
心の奥底でひそかに燃えている、神様の愛を消すことができない。
そして、疲れが癒されて、新しく出発できる。

(ブログ 未来を見つめて(統一教会員のブログ)より、抜粋させていただきました。)


体も心もクタクタ。動けない。
俺は何をしているんだろう。

祈ることが好きなのに、
祈る気も起こらない。

眠る時にいつも考えることがある。

神様、あなたは私を見てどう思われますか?

いつもの問いかけ。

その日は
その後に心が温かくなるのを感じた。

私を見て怒っているのかもしれない。応援してくれているかもしれない。
哀しんでいるかもしれない。

まあ、わからないけど。

でも確かに感じた

神様の応答。

なんと言われているのかわからないけど、

自分がこんな状態であっても、

信仰は熾火(おきび)となっても燃え続けてるらしい。

扇ぐと発火する様に
愛を感じてまた燃えるようだ。

疲れきった体の中が、
温かいもので満たされていく。

今にも途切れそうな意識の中で
無情の喜びを感じる。

世俗の波に揉まれながら、空いた時間は教会活動。
忙しい。

忙しいという字は心を亡くすと書く。

しかし
心を亡くしてしまいそうな道のりも、

この愛と喜びに繋がっているのならば、

信仰とはなんと甘美なものであったのか。








     

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